【INTERVIEW】
イノベーティブ・ソリューションズ CEO 細江 浩

2021/12/17

Interviewer: Chanisara Kajornchaikul

今回は、イノベーティブ・ソリューションズCEOである細江 浩の独占インタビューをお送りいたします。

プロフィール:
イノベーティブ・ソリューションズ代表取締役。同志社大学卒。豊田自動織機IT部門でL&Fカンパニー担当となり、トヨタ生産方式のシステム化に従事、独自のWMS、MESを企画開発などを手掛ける。2001年に米・EXEテクノロジーズでディレクターを務め、2003年には日系ECベンチャー常務取締役時に米・MA社総販売代理権を取得。2005年、中国オフショア開発会社の代表取締役時にNTTデータに売却し、NTTデータ・チャイナ・アウトソーシング代表取締役副社長となる。2017年より日本システム技術社外取締役を兼務。

共著:『図解MES 活用最前線』(2004年)

タイ出身
チャニサラ

皆さんこんにちは。
イノベーティブ・ソリューションズ、アソシエイトDXコンサルタントのチャニサラです。
今回は弊社CEO、細江のインタビューをお送りします。ITバブルや財政危機を乗り越えてチャレンジをし続けてきた経緯、ISOLを起業した理由・きっかけを聞きました。

製造業の会社に就職し、ITに関する仕事を始めたきっかけ、経歴を教えてください。

細江:1983年に愛知県の豊田自動織機に入社しました。モノづくりに携わりたかったので製造業を選びました。もともと法学部出身なので、入社後に社内の労務のテストなど受けたのですが成績が良くなくて…(笑)当時、行き場のない人たちはみんな情報システム部門の配属になり、私も自然とそこへ配属されました。

その当時の情報システム部門はどのような感じでしたか?

細江:当時はまだ汎用機と呼ばれる大型コンピュータが一台しかない状況で、コンピューターが普及していく段階でした。会社に一つしかないコンピューターを工場に分散して導入することになり、産業車両と呼ばれる、いわゆるフォークリフトを作っている事業部の担当になりました。当時コンピューターのシステムは主に給与計算や会計に使われていましたが、急速に生産現場で使われ始めたことで工場からの出荷や生産管理などに適用され始めました。

どのような苦労がありましたか?

細江:コンピューターを大学で学んできた人がいなかった時代だし、当時は誰も正解を知らなかったので「失敗して当たり前」でした。誰もいない中で失敗しながらも色々やらせてもらえたのは、大変だったけどいい経験になりました。失敗が許される環境であったことは大きかったと思います。逆に言うと、全てを分かっている上司という存在もいないので教えてもらうこともできませんでした。また、面白かったのは、コンピューターの端末としてパソコンが普及し始め、パソコンを使ったシステムを色々開発しました。抵抗なく進めることができたのはトライアンドエラーを繰り返した経験があったからだと思います。

製造の現場へのコンピューターの導入以降は何をされましたか?

細江:当時、日本はバブル、米国は不況でした。まさに日米貿易摩擦の真っ只中で、デトロイトではデモでカローラがハンマーで叩き壊されることもありました。フォークリフトを日本からアメリカへ輸出するときの関税が40%かかる事になり、アメリカに工場を作らなくてはいけなくなりました。そうなれば工場を管理するコンピューターも必要になるので、アメリカでの工場の立ち上げに携わることに。豊田自動織機のすごいとことは、上司なしで若い人に任せるところ!

▲アメリカの工場立ち上げ時。窓にはごみ袋を貼って中が見えないようにしている。

▲コンピュータの導入風景

アメリカでの新しいチャレンジも自分たちのみで行ったんですか?!

細江:入社6~7年目の社員4人が中心でコンピューターの部分の立ち上げを行いました。若いうちに失敗して、学んで“道を拓け”って感じでしょうか。

その当時の経験は今にも活きていますか?

細江:活きていますね。この経験ができたおかげで海外との仕事に抵抗がなくなりました。日本とアメリカを行き来して大変だったけど、とても楽しかったです。

アメリカでの工場立ち上げが終わってからは日本に戻られたんですか?

細江:バブルの絶頂期に日本に戻りました。ただ、製造業は金融・不動産のように華やかではなく、汚いし、安月給な仕事だからか人気もなく人がなかなか採用できない。ただでさえ採用できないので、採用された人は製造業本来の営業や開発に回され、情報システム部門には人は割かないと言われてしまいました。そこから、子会社を作るという話になり、9人でITの子会社を設立することになります。

大変な時期ですよね。豊田自動織機に籍を置きながら子会社を立ち上げたのですか?

細江:そうです。豊田自動織機ITソリューションズという会社を1991年に立ち上げました。でも作ってすぐにバブルがはじけてしまって、自分の所属会社に頭を下げて営業して仕事をもらっていました。その大変さを楽しんでいましたね!

想像できないです!大変な状況を楽しんでいたんですね!

細江:というのも、リスクなしでベンチャー起業の経験が積めるんです。上司もいないし、やりたい放題できました。失敗したらもちろん自分のせいだけど、最悪失敗をしても元いた会社に戻ればいいという安心感もあったのかもしれないですね。

当時は主にどのような業務をされていたんですか?

細江:今にもつながりますが、製造や物流の現場の実行系のシステム開発を行いました。元から関わっていたフォークリフト部門での生産管理全般や、新しい物流センターの建設、全てのラインの生産システムも任されるようになりました。

当時面白かった仕事は何ですか?

細江:一番大きくチャレンジングな仕事は、コクヨの通販子会社であるカウネット創業時の倉庫管理システムやオーダーマネジメントシステム(OMS)構築でした。開発期間5カ月で東京と大阪の物流センターを同時に立ち上げて、3カ月置きに名古屋と九州でも立ち上げるというプランです。この時点で子会社に出向しておよそ10年、そろそろ親会社に戻るように、と声がかかりました。

子会社にいる時間の方が長いですよね。

細江:そうですね。僕自身もITをもっと突き詰めたくなって豊田自動織機を離れる決断をします。超短納期で物流センターを立ち上げた時に、手作りではどうしても間に合わず、パッケージの倉庫管理システム(以下WMS)を採用したのですが、その時に採用したパッケージシステムの会社、EXEテクノロジーズ(以下EXE)からオファーがあり転職を決意します。ここで現在の役員の一人である木下さんに出会います。
ただ、2001年にITバブルがはじけてしまい、ITベンチャーだったEXEの景気も右肩下がりになってしまいました。それもあってEXEには長く留まらず、日本のECソフトのベンチャーに開発本部長として入ります。当時の開発部長が取締役CTOの横井さんです。

とうとう他の役員2人と出会いましたね!ECソフトのベンチャーでは何をされていたんですか?

細江:ECソフトのベンチャーは立て直しが必要だったのですが、中々厳しい状況でした。当時Eコマース先進国である米国では、ネットで受注したプレゼントがクリスマスに届かず、物流が問題になっていました。それをみて、物流機能も拡充させることにしました。当時、マンハッタン・アソシエイツ社(以下、MA)が日本に進出するタイミングだったので、パートナーになれないかと声を掛けたところ、MAの創業会長が「日本はお前に任せた」って言うんです(笑)そこから、MAの総販売代理店を担うことになります。1年間やりましたがECとの相乗効果が見られず、ベンチャーを辞めて、個人でコンサルティングをすることにしました。この苦しい経営経験で財務諸表(BS/PL)の中でもBSの重要性を再認識しました。

個人事業主になったんですね。その間は何をされていたんですか?

細江:このタイミングでMAは日本法人を立ち上げたので、MAのプリセールスや、日本能率協会の仕事も手伝いました。日本能率協会の仕事をする中で、日本の製造業の中国工場にトヨタ生産方式を導入したいという要望があり、そのコンサルティングを行ったりもしていました。後にトヨタ生産方式のシステムも作りたいという話になり、私が設計し、知り合いのオフショア会社が開発したんですが、設計とシステムの責任が分かれてしまうので、オフショア会社の副社長に就任します。ただ、中国のシステムはうまくいったんですが、私たちがいない間に日本で受けた仕事が上手くいかず会社が潰れそうになってしまい、私が社長に就任することになりました。

急に社長になってしまったんですね!

細江:知らぬ間になっていましたね。東京に出てきてからは企業の立て直しばかりですね。そしたら今度は2008年にリーマンショックが来ます。今までもバブルがはじけたり、ITバブルがはじけたりと色々ありましたが、リーマンショックだけは事業が急成長したんです。お金はないけどシステムを開発したいというコスト削減のニーズにオフショアのビジネスが向いていたんです。

痛い目にあったことも多かったのが、今回はむしろいい結果につながったんですね。

細江:景気にとらわれず成長できる分野があるんだということを実感しました。その後、当時のオーナーの要望もあり、株式会社NTTデータに売却します。この時は売り手と買い手の間に入って、双方の利害調整をしました。3年後の2011年にNTTデータのオフショア会社と合併してNTTデータチャイナアウトソーシングという会社になり副社長に就任します。ただ、この時期に豊田自動織機の頃の同僚に再会して言われた一言がショックで…

...なんて言われたんですか?

細江:「子会社で副社長するなら、なんで豊田自動織機を辞めたの」って言われてハッとしました。自分を甘やかすことはいくらでもできたと思います。でも愛知からせっかく東京まで出てきたんだから、と一念発起することにして、2014年にISOLを起業しました。

昔の同僚の何気ない一言がISOLの始まりだったんですね...(笑)その方の一言がきっかけで起業する決断をされたとのことですが、起業のモチベーションはなんだったのでしょうか?

細江:人口減少していく社会で生産性を向上させていかないと、という危機感がありました。

その危機感はどこから来たのでしょうか?

細江:製造業でコンピューターのシステムを入れるときも、投資対効果分析は必須なのですが、ある時、役員に「このシステムを入れて減らしたその5人はどうすればいいんだ」と、人の頭数を減らすことが生産性向上や費用削減にもなるわけでもないんだと言われました。人口が減少する社会では、あらゆる分野で生産性を上げる必要が生じてきます。人材に求められる最も重要なノウハウは、業務プロセスを標準化できる力です。この力ががあれば、生産、物流、金融、営業、経理など、何に関わっても使えるんです。多くのシステム開発では、業務を標準化する前にやりたいこと、困っていることをそのままシステムへの要件にしてしまうことが多く、そのことが生産性の向上を阻害していると感じていました。だからこそ、標準化を推進できる人を育成することで個人個人の力を高め、それが生産性を上げる大きな土台になるのではないかと考えました。
また、日本はIT人材の社会的地位が海外と比べて低いと感じていたのもあり、なんとかしないといけないという意識もありました。

IT業界の魅力って何でしょうか?

細江:2つあります。「IT」という分野の実業はありませんが、「IT」を使ういろんな業種を経験できる。コンピューターのシステムに携わっていれば、事業をまたいで仕事ができるので、とても楽しいです。もう一つは、プラットフォーマーになれる事です。プラットフォームを作るとなると、“相反する立場の人を束ねる場を作る”という感覚が必要です。異なる立場の人からから見ても魅力的なシステムを作るというところも興味深い部分だと思います。

では、CEOでいることのチャレンジは何ですか?

細江:CEOになるなら若い方がいいです!(笑)パワーもあって、動けますしね。自分のやりたいことをやるということは、やりたいことに応じた責任を自分で持つということ。チャレンジをしていれば失敗はつきものです。チャレンジをし続けていればどこまで失敗していいのか分かるようになるし、失敗も少なくなってくる。だからCEOじゃなくても例えばプロジェクトの責任者になって活動して欲しいです。自分の人生には責任を負わなきゃいけなくなるんだから、早く負った方がいいですよ!(笑)あと、責任が持てる人、いわゆる一所懸命頑張る人は絶対誰かが見ていて手を差し伸べてくれます。リスクへの耐性がないとリスクは大きくなります。だからチャレンジをしてほしいです。

チャレンジをしてきた細江さんの言葉には重みがありますね。ISOLのこの先の10年のビジョンはなんですか?

細江:お客様目線だと、一緒に働きたい会社、一緒に働いたら面白い会社にしていきたいですね。だから社員のみんなが面白くないとね!(笑) 今のISOLは役員3人ができることから始めました。若い社員の皆さんや、これから入ってくる人たちは何かやりたいことがあればチャレンジできる場所は作るので、積極的にチャレンジしてほしい。大学で学んできた学部・学科などに囚われないでほしいです。

面白い会社にしていけるように私も頑張ります。(笑)では、プライベートはどうですか?家族や一人の時間はどう過ごされていますか?

細江:家族とは、大抵週末にゆっくりご飯を食べながら話していますね。豊田自動織機は給料もよく、安定した仕事だったのに、「会社を辞めて東京に行きたい」と言ったときに反対せずチャレンジさせてくれました。あとは、最近は自然の中で親しい人たちと過ごせるゴルフが楽しいです。東京に来てからはウイスキーにもハマっています。

ウイスキーコレクションがありますよね。ずばり、ウイスキーの魅力は?

細江:ウイスキーは樽と水と大麦だけなのに複雑な味わいだし、それぞれ全然味が違うんです。要因の一つに蒸留所の環境もあるし、先代や先々代の方の仕事も関係するようです。今日仕込んだウイスキーが飲まれるのは30年後かもしれない。そういう物語が好きです。いつかスコットランドなどで蒸留所巡りをしたいですね。

なるほど、ウイスキーの奥深さが少し見えた気がします!ワークライフバランスはどう保っていますか?

細江:今までの生活を振り返るとワークライフバランスは保てていないですね。(笑)
今まではワーク中心で、家族を犠牲にしてきた部分が多くあると思います。システムはお客様の会社の事業の基盤になる部分なので、システム更改は必然的にお客様の営業時間外や稼働していないときにしなければいけないことが多いんです。そして私が仕事を始めた80年代前半から現在に至るまで、システムへの依存度は右肩上がりに上昇してきました。GW、夏休み、年末などの長期連休は全部とは言わないまでも、仕事をしていることの方が多かったように思います。あと、余裕を持ってIT人材を確保することが困難になっている現状もあり、休めていない人は多いと思います。

IT業界でもワークライフバランスを保てるようになると思いますか?

細江:できると思います。コンピューターシステムの自動生成、自動テスト、コンテナ化など出てきて、ビジネスを動かしながらシステム更改する技術が出来上がってきているし、今後も進歩していくと思います。システムの大きな改修をしなくても小さな改修を繰り返していればシステムを維持できるようなプロセスを作るべきかもしれませんね。
最近はITもプラットフォーマーなどが出てきてITそのもので利益を生むようなビジネスモデルが出てきています。IT業界自体が新しいビジネスモデルを生む業界になってきたことで付加価値が高まっているので、過度に稼働率に重きが置かれる状況には変化が起きてくると思います。

知らないことがたくさん聞けて面白かったです。ありがとうございました!